忍坂彦命(おしさかひこのみこと)
当宮のご祭神の中で、一番聞き馴染みのない神様の名前は「忍坂彦命(おしさかひこのみこと)」ではないでしょうか。
全国でも忍坂彦命をお祀りしている神社というのは、見たことも聞いたこともなく、おそらくここだけではないかと思います。
なぜお祀りされるに至ったかは、由緒のページに簡単に書いておりますが、ここで少し詳しく書いてみます。
1497年頃、玉造の清水谷あたりに、押坂山という小さな山があり、そこに忍坂彦命をお祀りしている「天神社」がありました。
地主神としてお祀りされていたそうです。
忍坂彦命は、第三十代敏達天皇の第一皇子で、第三十四代舒明天皇の父でもあります。
しかし本人は天皇にはなっていません。
聖徳太子と同じ時代の方なので、聖徳太子のことをテーマにした漫画やお話にもちらっと登場していたりします。
「忍坂彦命」ではなく「押坂彦人大兄皇子」というお名前です。
謎が多く、なぜ天皇になっていないのかは詳しくはわかりません。
忍坂彦命の御陵は、奈良県広陵町の牧野古墳ではないかと推定されています。
また、奈良の桜井市には「忍坂」という地名が残っており、息子である舒明天皇の陵墓があります。
ざっとご紹介したとおり、大阪市内の玉造の清水谷にご縁があるようには見えず、なぜそこで地主神としてお祀りされたのかは、わかりません。
さて、この清水谷の天神社は1615年、大阪夏の陣で焼失してしまい、地元の方は小さな祠を作りお祀りされていたようです。
当時の大阪城の実質的城主であった松平忠明のご息女の夢枕に天神社を新しく再興するようにご神託があり、
1616年11月23日、松平忠明の要請により、御幸森天神宮に忍坂彦命の御霊が合祀されました。
その際、旧平野川中洲の地三千歩と灯明台も、寄進されました。
灯明台は、当時は川沿いに三十三基設置されましたが、現存しているのは当宮の境内にある一基のみです。
それから約四百年、忍坂彦命は御幸森天神宮のご本殿にご鎮座されておられます。
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